No.20-1 館林 鯉のぼり&茂林寺(ぶんぶく茶釜)
撮影時期:平成30年(2018年)4月、掲載時期:令和2年5月
■館林 鯉のぼり&茂林寺(ぶんぶく茶釜)No.1
2年前(2018年) 栃木県足利フラワーパーックの藤棚を観に行った帰り、遠出したのだから、このまま自宅に帰るのは勿体ないと思って両毛線の電車の中で館林の「鯉のぼりの里」祭のポスターを見つける。
今年(令和2年)はコロナで残念ながらお祭りは中止ですが、来年は盛況間違いなし(笑)。
(1)「こいのぼりの里」祭り 館林市
”こいのぼりの里”で検索すると、秩父市、群馬県甘楽町、館林市の3つの町が出てくる。秩父は約350匹、甘楽町は約200匹、館林は約4000匹が大空を泳いている。
特に2年前訪問した館林市では鶴生田川(つるうたがわ)、近藤沼公園、茂林寺川、多々良沼、つつじか岡パークインの5カ所で合計大小4000匹を超える鯉のぼりを掲揚。平成17年には52834匹の掲揚数でギネスに認定されたとのこと。
一方で鯉のぼりの生産量日本一の埼玉県加須市では、1988年には全長100メートルを越える世界一の大きさの鯉のぼりの制作し、以降「加須の鯉のぼり」が世界的に知名度を誇っているとのこと。
※端午の節句 ”鯉のぼり”の始まり
そもそも「端午の節句」は中国の厄払いをする風習がありこの日は”菖蒲”を門に掲げていたが、”菖蒲”が日本では”尚武(武勇を重んじる)”と被り男子の成長を祝う行事として浸透。また、日本の武家では男子が誕生すると玄関先に家紋付きの幟(のぼり)を立てる風習がありこれが庶民に伝わり5色の吹き流しを立てるようになった。さらに中国の故事にちなみ吹き流しに”鯉”の絵を描くようになったのが”鯉のぼり”の始まりと言われている。
※鯉のぼりの由来
中国の後漢書に「黄河の急流には竜門と呼ばれる滝があり多くの魚が登ろうと試みるが鯉のみが登り切り龍になることが出来た」という故事があり鯉の滝登りが立身出世の象徴となる。永達するための難関を「登竜門」とも呼ばれる。