No.87旧日立航空-変電所~第二次世界大戦空襲の傷跡~

タテ散歩

撮影時期:令和2年7月、掲載時期:同年8月
■旧日本航空 変電所(東大和市指定文化財) ~第二次世界大戦空襲の傷跡~
 冒頭で示したタテ散歩(模造紙に写真を貼ったもの)を使い、私が勤める高齢者施設で、第二次世界大戦で終戦の年にあった空襲の際の様子を紹介した所。そうしたら、まさに空襲当時この日立航空に勤めておられて実際に空襲に遭遇された方を複数名おられてビックリ。当時のお話をして頂き、その惨状の凄まじさを感じることが出来た。
(1)プロローグ
 東大和に住んで20年以上、玉川上水駅近くの南公園は市民の憩いの場になっているが、そこに今は使われていない変電所が残されてる。この変電所は外から見るとその外壁には第二次世界大戦で米国爆撃機からの機銃掃射で開けられた多数の穴がそのまま残されており、市の指定文化財となっている。

公開されていた変電所内部

(2)銃弾跡
分厚いコンクリートの壁を機銃掃射で貫通した穴が多数空いており、そこから外の木洩れ日が見える。写真の穴は直径10センチはあるかと思われる。

(3)3回の空襲の様子は?
終戦の年である昭和20年(1945)計3回の空襲が実施され、工場の8割が瓦解、従業員・家族・動員された学徒など100名以上が亡くなり、けが人多数。

  1回目(2/17):グラマンF6戦闘機が50機編隊で銃撃・爆撃
  2回目(4/19):ムスタングP-51戦闘機数機が機銃掃射
  3回目(4/24):B29 101機による空爆。1800発余りの爆弾が投下。

1回目(2/17)飛来したグラマンF6Fと同型機
2回目(4/19)飛来したマスタングと同型機
3回目(4/24) B29から投下された爆弾の実物大模型

(4)空襲前と後
昭和20年の空襲の前後の写真。

本館の建物(空襲前)、右上の写真は空襲後に残った正面玄関の壁面壁(↓部分)のみ

平成7年当時の風景。給水塔と変電所が空襲の惨状を残っている。

平成7年撮影 給水塔と変電所が空襲当時の面影を残す
給水塔(平成13年に解体)

(5)日立航空の操業当時の様子(空襲前)

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