No.84-のぼうの城(忍城)、No.85-東日本最大の埼玉古墳群

撮影時期:令和2年7月、掲載時期:同じ
■No.84 のぼうの城(忍城:おしじょう)
 7/3金曜に蓮が見ごろとのことで行田市にある”古代蓮の里”を訪問。その後、どうしようかと行田市の観光案内を観ていると、”のぼうの城(忍城:おしじょう)”が一番に目に映る。

忍城址

(2)忍城城主”成田氏”の成り立ち
平安末期から鎌倉時代にかけて武士が各々の土地で勢力を張るようになり、行田市及びその周辺地域では成田氏が勢力を伸長し台頭。一方、この地域は、戦国時代 北は上杉謙信を代表とする上杉家、南は北條家(北条氏康・氏政)の境目に位置し、この二つの勢力の間で従属と離反を繰り返しながら忍城の勢力を拡大していった。

(2)豊臣軍石田三成の2万の軍勢の水攻めに耐えた浮城(忍城:おしじょう)
◆天正18年(1590年)6月、天下統一を狙う豊臣秀吉が北条氏打倒のため、小田原城に攻め込む。当時、成田家は北条家に従属しており、豊臣軍石田三成の2万の軍勢は成田長親(のぼう様)が500の勢力で守る忍城(おしじょう)を囲み巨大・延長な堤を作り水攻めで行った。
 豊臣軍からは「忍城は水に浮くのか=浮城」と恐れられ1カ月半の戦いを耐えたが、北条家の小田原城が陥落したため、忍城も7/14に開城となる。尚、成田家は開城後に下野国香取郡上代に移封となる。
◆この戦いを、2009年小説”のぼうの城”が刊行され、2012年には同名で映画化され有名になる。私も当時この小説を面白く読んだが、まさか行田市にある忍城(おしじょう)だったとは知らなかった(汗)。

忍城図(明治6年作成):まさに水で囲まれた城ですね。

■No.85 「埼玉(さきたま)」発祥の地”行田”
行田市には東日本最大の埼玉(さきたま)古墳群がある。万葉集にも”さきたま(前玉、佐吉多万)”の地名が記載されており、埼玉が”ダさいたま”ではなく千年以上も前から知られた由緒ある名前であったことを知る(笑)。
 Note:万葉の時代は”さきたま”と呼ばれていたが、平安時代になり、”キ”を”イ”と発音するようになり”さいたま”になった。byネット

埼玉(さきたま)古墳群

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