No.63-The(ザ)帝国ホテル~ホテルの変遷と華麗な宿泊客~

撮影時期:令和3年2月
■The 帝国ホテル~ホテルの変遷と華麗な宿泊客~
(1)初代本館(1890年明治23年~1917年)鹿鳴館に代わる”日本の迎賓館”
 幕末、海外列強との不平等条約を提携したがその改正を目指し井上薫を中心に鹿鳴館で舞踏会を催して海外との交渉にあたったが、「会議は踊れど、会議は進まず」と国民から不評を買っていた。その井上薫が失脚するのと同じくして、渋沢栄一を中心として「日本の迎賓館」として建築されたのが”帝国ホテル”と知ってビックリ。 ”鹿鳴館”は、まさにこの帝国ホテルの隣にあったと知り二度ビックリ。

初代 本館

(2)二代目 本館 (1923年大正12年~1967年)”東洋の宝石”
20世紀を代表する建築家フランク・ロイド・ライト氏が設計。平等院を模して左右対称にされ「東洋の宝石」と称されるようになった。
尚、開業披露宴の当日に関東大震災が発生したが、損傷は軽微だった。このため海外の大使館に臨時に利用提供され、”震災に耐えたホテル”として有名になったとのこと、ビックリ。

二代目 正面「東洋の宝石」と呼ばれる。
二代目 鳥瞰図
二代目 正面には蓮の池

(2)華麗な宿泊客
海外から日本に来られて宿泊された有名人たちがすごい(笑)。

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